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2025年12月9日 | ブログ記事

Tale 「縁の星」

昔から私は「可哀想な子」だった。

物心ついた頃から、世界は私をその一言で片付けようとした。太陽が西の空に沈み、世界の輪郭が優しい闇に溶け始める頃。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った公園のそばを通りかかると、母親の手を引かれた小さな子が名残惜しそうに家路についていた。日中の陽射しをいっぱいに浴びたその子の頬は、まだ仄かに赤みを帯びている。

すれ違う、一瞬。その子の足がぴたりと止まる。好奇心に満ちた丸い瞳が、私の姿を捉えた。そして、母親にだけ聞こえるはずだった無邪気な声が、夕暮れの静寂に思ったよりも大きく響いた。

「ママ、あの子、まっしろでおばけみたい。かわいそう」

慌ててその口を塞ごうとする母親の視線が、かえってその言葉を深く突き刺した。子供の無邪気な刃も、大人たちの哀れみという名の鈍器も、結局は同じことだった。

この病院に運ばれてきたときだってそうだ。薄く開いた病室のドアの隙間から、夜勤の看護師たちのひそやかな声が、カルテをめくる音に混じって漏れ聞こえてくる。

「新しく入ったあの子、若いのに余命いくばくもないんですって。可哀想に」

今まで何度そんな言葉を投げかけられてきたか、もう分からない。それは他でもない、この病弱な身体のせいだ。「ヘルマンスキー・プドラック症候群」。生まれてすぐにそう診断された。

色素を持たないこの身体は、まるでガラス細工のように白く、そして脆い。ひとたび傷を負えば、血は容易に止まってはくれない。肺は石のように、ゆっくりと、しかし確実に硬化していく。そして、世界を遍く照らすあの太陽の光は、私にとっては毒だった。僅かな光でさえ目を眩ませ、素肌に受ければ火傷のような痛みが走る。

私の命の灯火が若くして燃え尽きるだろうことは、物心ついた頃からの決定事項だった。


気を許せるような人は、一人もいなかった。

普通の人と同じように学校に通えないのだから、他人との接点は自ずと限られる。たまに生まれた交流も、そのほとんどが哀れみのフィルター越しだった。それに、私がようやく外に出られる頃には街の店は殆どシャッターを下ろす。残っている眠らない店の看板の光は目を刺し、夜遊びに興じる人々の喧騒は私の心をすり減らすだけだった。

両親は私のことを深く愛してくれていた。家は特別裕福という訳ではなく、二人は私の高額な医療費を稼ぐために身を粉にして働いていた。夜遅くに家に帰ってきても愚痴の一つも零さない。それどころか、「身体は大丈夫?」「お薬はちゃんと飲んだ?」と、いつだって自分のことより私を優先してくれた。

しかし、その優しさがかえって私の胸を締め付けた。笑顔の奥に滲む疲労の色を、私は知っていた。たまの休日に、日差しの下で家族団らんの時間を過ごすことさえ叶わない。私の身を案じるあまり、溜まった家事の手伝いすら「いいから休んでいなさい」と止められてしまう。私のせいで、両親にどれだけのものを諦めさせているのだろう。罪悪感はいつしか、周囲に心配をかけさせまいとする強固な鎧——克己心をを成長させた。家すら、私の素を曝け出せる場所ではなくなっていった。

そんな私にとって、星だけが唯一心を許せる友だった。

私が活動を始めるのと時を同じくして、星もまた「やあ」とでも言うかのように夜空に顔を出す。まるで気さくな友のようである。その表情はとても穏やかで、太陽に一生許されない私を優しく包みこんでくれる。しかしその光の奥には、果てしない宇宙を何億光年も旅してきた屈強な生命力を宿していた。人間が私に向ける哀れみも、心配も、そこにはない。ただ暗闇の中に在り、静かに、そして真っ直ぐに輝いている。その変わらない姿が、私はとても心地良かった。

この不条理な世界で、私には星さえあればよかった。死は物心ついた頃から隣にあったから、今更その恐怖に怯えることはない。心通じる友がいないことも、迫りくる死を前にすれば、余計な未練を抱かずに済むと考えれば好都合だった。

私は星に見守られながら、この短い命を静かに終える。そのつもりでいた。


高校は夜間の定時制に通うことにした。いつ死んでもおかしくない身なのだから高校など行く必要はなかったが、ただ布団を被って死を待つのではなく、せめて最期まで人間らしくありたかった。過保護な両親も、こればかりは私の意志を尊重して送り出してくれた。

入学して早々、部活動の説明を受けた。全日制の生徒たちと一緒に活動ができるとのことだが、病弱な私が参加できるものなどないと端から諦めていた。そんな時、部活動紹介の冊子の隅に、忘れられたように存在するその名前を見つけたのだ。天文研究会。これなら、私もその輪の中に入れるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、私は部室へと足を運んだ。

しかし、そこは廃部寸前の、もぬけの殻だった。卒業と同時に部員は誰もいなくなり、私が最後の一人になったらしい。けれど、それはそれで好都合だった。本棚に並んだ古い星図鑑や、窓際に置かれた大きな天体望遠鏡。静寂に満ちたこの部室を、誰にも邪魔されない私だけの聖域にすることができた。本を読み、星を眺める。孤独ではあったが、満たされた日々だった。自分から仲間を増やそうとする気も起きず、ただこのまま、静かに卒業の日を待つつもりでいた。

だからあの日、静寂を破って部室の扉が開かれた時、内心ひどく驚いたのを覚えている。

そこに立っていたのは、私とは正反対の、太陽の光をいっぱいに浴びて育ったことが分かるような、そんな快活な少女だった。全日制の制服に身を包んだ彼女は、暗闇に慣れた私の目には眩しいほどだった。

「……入部希望です」

そう言って震える手で差し出された紙切れと、彼女の顔を交互に見つめる。「朝比奈 望」。そこに書かれていた名だ。望は私の身体を値踏みするでもなく、哀れむでもなく、ただひたむきな好奇心と、そして——憧憬。そんな純粋な光を宿した瞳で、私を見つめていた。そんな人間に出会ったのは、生まれて初めてのことだった。


望は私を決して傷つけなかった。

今まで出会ってきた人々と違い、彼女は私の病について決して触れようとしなかった。それどころか、死に装束のようなこの姿を美しいとさえ言ってくれた。

「先輩は……すごく綺麗で、格好良いです!」

そう言って頬を赤らめながらも、混じり気のない瞳で真っ直ぐに私を見つめる。どくん、と自分の胸が大きく鳴るのを感じた。こんな感情は、生まれて初めてだった。

だからこそ、私は自分の弱い部分を彼女に見せたくなかった。体調が優れない日はもちろん、ほんの僅かでも病の影が自分の顔に落ちていると感じる日は部室に行かなかった。彼女の純粋な瞳の中に、私に付きまとう死神の姿を映したくはなかったのだ。休むことを伝えれば、きっと心配させてしまう。だから何も連絡はしない。それがかえって彼女の不安を煽る、自己中心的な我儘であると分かっていながら。

翌日、何か言われることを覚悟して部室の扉を開ける。望は、椅子に座って夢中で星図を眺めていた。その輝く瞳は、部屋を包む宵闇とはあまりに不釣り合いなほど光を放っている。まだ私に気づかない彼女の背後に、私は音を立てずにそろりと回り込み、耳元で囁いた。

「こんばんは」

「ひゃっ!?」

静寂を裂くような悲鳴と共に、望の肩が大きく跳ねる。勢いよく振り向いた顔と目が合い、その驚いた表情が子供のようで、たまらなく愛おしい。思わず「くすくす」と笑いが漏れた。

「せ、先輩!もう、驚かさないでくださいよ!」

ぷう、と頬を膨らませてみせる彼女。しかし、その怒りは一瞬で星への好奇心に上書きされる。

「それより、見てください!この間教えてもらったはくちょう座、今日なら綺麗に見えるんじゃないかと思って!翼の付け根の星、見てみたいんです!」

彼女は私の不在には一切触れず、ただ満面の笑みで星図を指差した。まるで、昨日のことなど無かったかのように。

ああ、やっぱりこの子は——。

私がこの夜の世界に来ると、いつもそこにいてくれる。その身から放たれる純粋な光で、暗い部室を、私の心を、明るく照らしてくれる。そして私を哀れむでもなく、ただひたすらに真っ直ぐな瞳で私を見つめてくれる。私の心の壁を壊すのではなく、そっと寄り添ってくれるそのあり方は、本当の強さだ。

望は、星だった。

ずっと暗闇で独りだった私を導き、世界に彩りを与えてくれた、たったひとつの希望の星。

いつの間にか、私は「星」に心を奪われていた。


その夏、私は担当医から、終わりまでの具体的な数字を告げられた。

「残念ながら、肺線維症の進行は止まりません。このままいけば、あと……二年、もたないでしょう」

冷静に、事務的に告げられたその言葉に、隣で聞いていた両親は泣き崩れた。今までの私ならば、そんな両親とは対照的に、ただ静かに運命を受け入れて頷くだけだっただろう。しかし、今はそうはいかない。私の心にあったのは、望、ただひとりだった。私が死んだら、あの子の屈託のない笑顔は、一体どうなってしまうのだろう。希望の星である彼女の笑顔を絶やすのは何としても避けたかった。しかし、最悪の光景が頭に浮かんでは、消える。そんなことで頭がいっぱいになり、私は上手く返事をすることができなかった。

胸の奥に突き刺さったその氷の棘は、何日経っても溶けることはなかった。けれど、私はその痛みに蓋をして、望との約束の場所へ向かう。ペルセウス座流星群が今夜、極大を迎える。前からふたりで一緒に見ようと約束を交わしていたのだ。

二人で忍び込んだ真夜中の学校。屋上に寝転んで見上げた空が、言葉を失うほどの光の雨で満たされる。この流星群は過去に何度も見てきた。けれど今夜は、隣に望がいる。ただそれだけで、いつもの星空が全く違う、特別なものに見えた。望は「すごい……」と呟き、いつの間にかその頬を涙で濡らしている。その純粋な横顔を、流れ星の光が刹那的に照らし出した。

私はその光景に思わず、綺麗だ、と思ってしまった。この空も、そしてこの子の涙も、何もかも。私は、彼女の隣でこの光景を永遠に眺めていたいと、そう本気で思った。

「先輩!」

不意に呼ばれ、心臓がどきりと跳ねる。

「すごい、すごいです……!来年も、絶対見たいです!先輩と、一緒に!」

光の喧騒の中、望の弾む声が私の耳に届く。その無邪気な一言が、今夜だけは忘れようと決めていた冷たい現実を、鋭くえぐった。「来年」。その言葉が、これほど重く、残酷に響いたことはなかった。

医師に告げられた猶予は二年。しかしそれあったとして、一年後の私が今と同じように彼女の前に元気な姿でいられる保証はない。しかもそれは、所詮その場凌ぎに過ぎないのだ。遅かれ早かれ、目の前で輝いているこの純粋な子に、私の死という絶望を叩きつけてしまうことになる。

返事に詰まる。けれど、輝く瞳で私を見つめるこの子に、そんな未来を告げることなどできるはずもなかった。

「ええ。約束よ」

喉の奥から絞り出したその声は、震えていなかっただろうか。私は溢れそうになる感情を全て飲み込み、精一杯、穏やかに微笑んでみせた。


医師の宣告は、無慈悲なほど正しかった。

日が沈み、夜が更け、そして再び日が昇る。地球が一回転するごとに、私の身体から命がこぼれ落ちていくのが分かった。肺を苛む石のような硬さは日に日に存在感を増し、少し階段を上るだけで息が切れ、視界が白む。かつては聖域だったあの部室までの道のりが、果てしなく遠いものに感じられた。

部室に顔を出す間隔は、週に三日から二日へ、そして週に一度がやっとになった。会えない時間が増えるほど、望のことが恋しくてたまらなくなる。けれど、会えば会ったで、自分の衰えを隠し通すことに神経をすり減らした。無理をしていることなど、聡い彼女にはお見通しだったかもしれない。それでも私は、彼女の瞳に心配の色を浮かべさせたくなかった。

そして、二度目の夏が近づいてきた。流星群の約束の日が、すぐそこまで迫っていた。

その日、私は自室のベッドの上で、不意に呼吸ができなくなった。まるで水の中にいるように、もがけばもがくほど空気が遠ざかっていく。薄れゆく意識の中、最後に脳裏に浮かんだのは、星空の下で泣いている望の顔だった。

次に目覚めた時、私は見慣れた天井の下にいた。消毒液の匂い、点滴の落ちる規則的な音。████大学病院だ。

私は、このことを望に何も伝えないと決めた。

スマホを手に取り、何度も彼女にメッセージを打ちかけた。今、本当は声が聞きたい。会いたい。けれど、私のこの痩せ細り、管に繋がれた姿を見たら、あの子はどんな顔をするだろう。私は、彼女の輝くような笑顔が失われることを何よりも恐れていた。

だから、せめて私が生きている間のふたりの記憶だけは守りたかった。彼女の中にいる生前の私は、星のように気高く、美しい存在でなくてはならない。そしてその時の彼女の顔は、屈託のない笑顔でなくてはならない。病に蝕まれた無様な姿を見せて、その輝かしい記憶を汚すことだけは、絶対にしたくなかった。これは、別れを目前にした私の、最後の我儘。私との思い出を、美しいまま終わらせるための、残酷で、あまりにも身勝手な、愛情表現だった。

どうか、あの子が私のことなど忘れてくれますように。良い子だから、今までのように私の不在を気にせず、友達と笑い、新しい日々を生きてほしい。そう、病室の白い天井を見上げながら、何度も、何度も願った。

けれど、心のどこかで分かっていた。望は、そんな薄情な子ではない。私が何も言わずに休んでいた時、彼女が本当に何も気にしていなかったわけがないのだ。私の痩せた頬も、浅くなった呼吸も、きっと全部分かっていた。その上で、私との大切な時間を傷つけないように、何も言わず、ただ隣で笑ってくれていただけなのだ。そんな強い優しさを持つあの子が、私が消えたからといって、はいそうですかと黙っているはずがなかった。

約束の流星群の夜が来た時だった。案の定、枕元のスマホが、静かに、しかし有無を言わせぬ強さで震えた。画面に表示された名前に、心臓が凍りつく。

『先輩、お元気ですか?今日はペルセウス座流星群の見頃ですよ』

メッセージを開いてしまった指を呪った。既読の文字が、私の生存を無情にも彼女に伝えてしまう。

『どこにいるんですか?体調が悪いなら、お見舞いに行きます』

「大丈夫」とだけ返信した。当然大丈夫なわけもない。そしてそんな誤魔化しはもう通用しなかった。

『約束、したじゃないですか』

その言葉に、胸の奥で閉ざそうと努力していた扉が、粉々に砕け散る音がした。約束。私はあの子と、今年も一緒に星を見るという、何よりも大切な約束をした。それを破ることなど、できるわけがなかった。

何度も文字を打っては消すことを繰り返す。最終的に、私は震える指で、ただ現在地を示すURLだけを彼女に送った。もう、隠し通すことなどできない。

それから、どれくらいの時間が経っただろうか。病室のドアが、ためらうように、そっと開かれた。そこに立っていたのは、私がこの世で一番会いたくて、そして一番会ってはいけないと願っていた、たった一人の——私の星だった。


私の痩せ細った腕を見て、悲しそうに揺らいだ瞳。けれど、望は震える声で、しかし毅然とした態度で私に迫った。

「見れます!屋上、行きましょう!」
「でも、私の身体…」
「私が車椅子を押しますから!」

弱々しく断る私の声は、彼女の強い意志の前ではあまりに無力だった。私は、なにもかもを彼女に委ねるように、こくりと小さく頷いた。

望に押される車椅子が進む。殺風景な廊下を抜け、辿り着いた屋上は、去年と同じ、寸分の狂いもない星空に満ちていた。

屋上の縁、空が一番広く見える場所に車椅子を止めると、望は私の隣にゆっくりとしゃがみこんだ。風で乱れた私の髪を、彼女の指が優しく直してくれる。同じ目線で、真正面から私を見つめるその瞳は、潤んではいたけれど、強い意志の光を宿していた。

私は、この子の笑顔を守りたかった。死にゆく私の無様な姿を見せず、美しい記憶のまま、この子の心に残る。そのために、私は一人で消えることを選ぼうとした。そう、自分に強く言い聞かせた。

やがて、その時が来た。空のあちこちで、光の筋が走り始める。ふたり並んで、言葉もなく、ただ降り注ぐ光の雨を見上げていた。

その光景が、去年の記憶の蓋をこじ開ける。何度も見てきたはずの流星群が、望と見たあの夜だけは、全く違う特別なものだったことを思い出した。感動に濡れた彼女の純粋な横顔、その頬を伝う一筋の涙。あの時、私は——。

何かが引っかかった。私の願いは、この子の笑顔を守ること。それさえ叶えば、他に何もいらないはずだ。

本当に?

脳裏に浮かんだ彼女の笑顔と、涙。その二つが重なった瞬間、後頭部を殴られたような衝撃が走った。

——違う。

心の奥底から、否定する声が聞こえた。

違う、違う、違う、ちがう、チガウ。

綺麗事だ。そんなものは全部、私の自己満足だ。彼女の笑顔を守りたかったんじゃない。そう自分に言い聞かせ、本当の気持ちから目を逸らしていただけだ。病弱な自分を守るために作り上げた、気丈な私という名の強固な鎧。その影に、弱くて脆い、本当の心を隠していた。私が本当に、心の底から欲しかったもの。それは——

——望と永遠に、ずっと一緒にいたい。

ただ、それだけだった。ずっと彼女の顔が見たかった。声が聞きたかった。泣きたい時には泣いて、笑いたい時には笑う、そんな当たり前の感情を共有したかった。来年も、再来年も、死ぬことなんて考えずに、何度だってこの流星群を隣で見たかった。この子がくれる、陽だまりのような温かい時間の中に、永遠にいたかった。私は、生きたい。彼女と共に生きれるように、もっと強く、もっと長く。

なぜ、もっと早く気づけなかったのだろう。笑顔じゃなくていい。心配そうな、悲しそうな顔でもいい。ただ、彼女の隣にいて、その温もりに触れていたかった。それだけで、私はきっと救われたのに。全部、ぜんぶ、間違っていたんだ。

今まで見て見ぬふりをしてきた本心が、奔流となって心の壁を突き破る。それに気づいてしまったら、もう駄目だった。堪えきれなくなった涙が、次から次へと溢れ出し、星空が滲んで見えなくなった。

そして私は決意した。

「……ねえ」

私は流星群を眺めたまま、か細い声で望に語りかけた。

「願い事、しましょう」

突然の提案に、隣で望が「えっ」と短く息を呑む気配がした。きっと予想外のことを言われて戸惑っているに違いない。けれど、やがて聞こえてきたのは、「……はい」という、か細くも力強い頷きだった。

その健気な姿に胸が締め付けられる。私は、一際明るい流星が空を切り裂いた瞬間、強く、強く祈った。私の願いは、この病が治ることではなかった。星に願ったところでこの病がどうこうなるものではないということは、私自身よく分かっていた。そんな奇跡は起こらない。そうではなく、もっと可笑しくて、我儘な願いを。

——私が死んでも、どうか、この子の心の中で、永遠に輝く星座になれますように。

それが、私の最後の、そしてたったひとつの「一緒にいたい」という願いの形だった。目を開けると、望が心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「先輩は、何を願ったんですか?」

できるだけ穏やかな声で、私は答えた。

「……星座になりたい」

戸惑う彼女の顔を見て、胸が痛む。この本当の意味が、今はまだ、彼女に分かるはずもない。私はそっと彼女の手に自分の手を重ねた。驚くほど冷たい、自分の手を。

「……来年も、また見ましょう」

今度は、私の方から。

この約束が果たされる頃にはもうこの世にいない未来を知りながら、それでも私は、あの子に希望を渡したかった。私が星座になった夜空で、あの子が道に迷わないように。

「約束よ」

そう言って微笑むと、望は、泣きながら、何度も、何度も頷いてくれた。


あの夜を境に、私は望の前で自分の弱さを隠すことをやめた。もう、気丈に振る舞う必要はなかった。自分の本当の願いを自覚した今、ありのままの姿で彼女と向き合うことが、私にできる最後の誠意であり、ささやかな最後の我儘だと思ったからだ。

望は、それから毎日のように私の病室へ通ってくれた。学校の話、星の話、他愛ない話。虚ろになっていく私の意識を繋ぎとめるように、彼女は必死に言葉を紡ぎ続けた。その笑顔の裏に、日に日に濃くなる焦りと絶望の色が浮かんでいることに、私は気づいていた。

けれど、そんな望とは対照的に、私の心は不思議なほど穏やかだった。笑顔じゃなくていい。ただこうして、彼女が隣にいてくれることこそが、私が心の底から欲しかったものだったからだ。彼女という希望の星に触れてしまったことで、死ぬのは少しだけ怖くなったけれど、それでも私には、あの夜に星に託した願いがある。この肉体が滅んでも、私は望の心の中で星座として生き続けることができる。あの子が夜空を見上げる限り、私は決して独りにはならない。そう信じていた。

「白露 昴」。白露のように白く、儚い運命をその名に背負った私。両親は病に負けぬようにと、若く力強い星団の名をくれた。結局、その運命に抗うことはできなかったけれど、無駄な人生だったとは少しも思わない。

望という星が、私に希望をくれたから。生きる理由を与えてくれたから。短かったけれど、その記憶一つひとつはかけがえのない宝物だ。

人は死ぬ寸前、時間がとてもゆっくりに感じるという。意識はやけに冷静で、そこで走馬灯を見て自分の一生を振り返るのだと。今まさにその全てを観終えた私は、もうすぐこの世界から消えるのだろう。

未練はない——と言えば嘘になる。けれど、この終わり方には、満足している。なぜなら、今この瞬間も、あの子が私の手を握ってくれているから。声も、光も、もうほとんど届かない。けれど、その温もりだけは、はっきりと分かるのだ。

望という希望の星に見守られながら、私は、私の生涯の幕を閉じる。

ああ、私は、なんて幸せ者なのだろう。

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この記事を書いた人
hijoushiki

23B情報工学系、しがない音ゲーマー。たまに音MAD、稀に音ゲー制作。

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