2017年11月11日 | ブログ記事

インターネット・ミーム論概論

CulMen

1.はじめに

おはようございますこんにちは、おやすみなさいこんばんは。traP Advent Calender 20日目担当のCulMenです。

早速ですが皆様、なぜこの記事を開いたのでしょうか?ひょっとして、キャッチアイ画像に釣られてだったりしないでしょうか?

ご存知の通り、この記事のキャッチアイ画像は画像加工を行った単なるピクセルの集合体であります。加工元の画像に関しても男性が写っている、という何の変哲もないものであります。

ではなぜそんな一般男性の画像を元にしたドットがこの記事を開かせるに至ったのか、それを読み解く鍵となるであろう「ミーム」についてお話ししたいと思います。

2.そもそも「ミーム」ってナニ?

ミーム<meme>という言葉は、1976年に動物行動学者、進化生物学者であるリチャード・ドーキンスが自身の理論における"自らの複製を創らせることを目的とした構造体"、自己複製子について、体内におけるそれ(DNA)と対になる「文化における自己複製子」に対して付けられた名前であり、「模倣素」を意味するギリシャ語<mim-eme>に遺伝子<gene>を連想するように語感を揃えたものです。

新登場のスープは、人間の文化というスープである。新登場の自己複製子にも名前が必要だ。文化伝達の単位、あるいは模倣の単位という概念を伝える名詞である。

リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」

遺伝子が遺伝子プール内で繁殖するにさいして、精子や卵子を担体として体から体へと飛びまわるのと同様に、ミームがミームプール内で繁殖するさいには、広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介として、脳から脳へと渡り歩くのである。

リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」

ここにおいて、人間はある実体の要素を模倣することを通して脳から脳へとその模倣した文化・情報が伝播されていき、旋律・観念・キャッチフレーズ・ファッション等「人間がそのような模倣を行った対象である実体」がミームであるというのです。


ドーキンスの定義では「多くの人間に伝播するミームと伝播しないミームがあるのか、その違いはなにか」を説明することがたいへん難しい。そこでそこに切り込んだミームの定義を行ったのが心理学者のヘンリー・プロトキンです。

ミームは文化の遺伝単位であり、遺伝子のようなものである。そして知識の内部表現である。

リチャード・ブロディ「ミーム―心を操るウイルス」

ドーキンスの定義との一番の違いはミームを複製させる主体です。ドーキンスがそれをファッションや音楽等、具体的なかたちで観測できる実体とした一方、プロトキンはそれを「内部表現である」としました。

ここにおいて、ミームは人間の中にソフトウェア的に存在しており、(外部環境から影響を受けた)複数のミームが人間の振る舞いを決定し、他人にミーム的影響を与えています。

これにより、「ミームの伝播性の容易さ」という問題に対して、「ミームは個人個人の内部に存在するものであり、人によって模倣しやすい/しにくい(ミームが反応しやすい/しにくい)実体が異なる。その割合の大小がミームの伝播性である」という回答を与えることができます。


プロトキンの定義をより抽象化し、人間以外の知識形態に対しても適応させたもの[1]が、認知心理学者のダニエル・デネットによる定義です。

ミームは一つの考えである。しかも、それ自身が形を作り上げ、記憶に残る個別の単位となるような複雑なある種の考えを指す。そしてミームの物理的現れである媒介物によって広まってゆく。

リチャード・ブロディ「ミーム―心を操るウイルス」

デネットによる定義の一番の特徴は、これがミームを主体とした定義であるということです。

つまりミームというものがヒトの内部に存在し、それが人間に対し媒介物として形を作り上げさせ他人の内部に存在するミームへと間接的に伝播させていくという、ある意味で「遺伝子の利己性」を定義したドーキンスの主張と共通する面を持っているのです。


ミームは文化の進化の説明を行うために作られた概念であり、それは内部表現であり、ミームはヒトに外部世界への影響を及ぼさせるソフトウェア的ふるまいをもちます。以上の各要素のエッセンスを抽出して、リチャード・ブロディが以下のようにミームを定義しました。

ミームとは心の中の情報の単位であり、その複製が他の心の中にも作られるようにさまざまなできごとに影響を及ぼしていく。

リチャード・ブロディ「ミーム―心を操るウイルス」

3.ミームによる変化と影響

前節を理解する上で気をつけて欲しいことが、今挙げられている"模倣/複製"という言葉が"100%の模倣/複製"を指しているのではないということです。

ミームは媒介物から影響を受け人間に模倣を起こさせる主体です。その一連の流れを考えたとき、「ヒトは何かから影響を受けるとき、影響を与える相手の意図を完全には理解できるわけではない。そこで発生する"相手の意図"とは"自己解釈が行われた括弧付きの意図"である」ということは分かるでしょう。そのような状態の中で行われる模倣は以前模倣と100%の一致がされることはまずありません。即ち、ミームの媒介物(とそれに反応するミームの種別)は度重なる模倣を通し大なり小なり変化していくということです。

ミームの種別、という言葉が出てきましたが、ここにおける「変化」とは媒介物自体の変化にとどまらず自己の認識やミーム自体の変化までもが含まれます。ミームは内部表現であるため自己感覚と密接な関係をもつ概念であり、個体内での限られた領域で絶えず競争が行われています。

ミーム自体の変化とは、ミームの生存競争に関して、媒介物という外部刺激を通じて既存のミームが新規のミームに淘汰されてしまう状況[2]のことを指すのです。

4.「ミーム」と「ブーム」の違いとは

ここまでで皆様の頭の中は「ミームとブームの違いって何だ?」となっているのではないでしょうか。

一般的なネット言説では「ブームがミームへと変化する・昇華される」といった表現がなされているのですが、正確にいえばこれは間違いであります。それでは、ミームとブームの違いとはどのようなものであるのでしょうか。

ミームとブームの違いは大きく分けて「独立性」と「客観性」の2つととらえることができます。ミームはあらゆる形をとる「模倣を通した伝播とそれに伴う変化を及ぼす主体」であり、それを分割し「模倣」という要素の客観性を純粋に抜き出したものがブーム、ということです。

つまり、ブームは模倣する人間の数を客観的に観察することで各々の要素に対してブームであるか否かの判断が可能なものであり、その独立したブームを複数合わせて「ひとつのミーム」として見ることができるのです。

ブームは独立であるという事を示す例として「けものフレンズ」という作品をみてみましょう。一般的には、「この作品から発生した特徴的なワード・フレーズがミーム的に拡散し、それがブームの火付け役となった」という文脈で語られます。[3]しかしこのような状況のなかでは、「ワードやフレーズが模倣されているさま」が不特定多数に広まっていることが観察できた時点で「模倣される個々のワードそれ自体」各々に対してブームと捉えることが可能であり、「けものフレンズ発祥のワードが模倣されるさま」の総体に対して、たとえブームであると判断できなくとも個々人の領域に限っては模倣を行った時点でみんみであると言えるのです。[4]

ここで理解を妨げてしまうのは、「個々のワードの模倣されるさま」もひとつのブームとして見ることができるという事実です。要は"「模倣」という要素の客観性"という言葉に対して、それが行われる媒介物を「個々のワード・フレーズ」という視点で考えるか「ワード・フレーズの総体」という視点で考えるかの違いであり、いずれにしても独立性は保たれている、ということなのですが。

ブームとミームの違いを理解するには、ブームの独立性よりもブームの客観性からミームと比較するほうが分かりやすいかもしれません。ある実体に対してブームであるか、ということは客観的に判定することができ[5]、そしてブームの終わりに関しても同様の手法で判断を下すことが可能です。[6]

一方でミームはヒトにおける内部表現、つまり主観側に属するものです。ミームは別の媒介物によってミーム自体が淘汰されない限り思い出され、模倣を引き起こします。そこに「周りが同様に模倣しているか」という客観性は介在しません。

これをふまえて章始めのネット言説[7]をみてみると、「ブームがミームへと変化する・昇華される」のではなく「ブームとミームは独立に存在し[8]、ブームが客観的に"終わった"と判断された後も残るものがミームである」といえるのでしょう。

5.「ミーム論」は成立しえるのか

一言で言いましょう。成立しません。
前々節のミームに対する諸定義を読むだけでもわかるように、「ミーム」という言葉自体が既に原義から逸脱し各々が独自解釈・変化を起こすミーマチック概念と化しているのです。[9]

この性質から、ミームについて語るという行動は「ミームというミーム」、即ちメタミームを模倣しているにすぎず、そこで伝えられる媒介物(ミーム論という名前の理解)は模倣者が影響されたそれと同じにはなりえません。

ここで生ずる問題(ミームがミームとして優秀である理由)が、「ミームは便利すぎる」ということです。ミーム[10]は「情報・文化の伝播」というミーム[11]に影響を及ぼすものであり、この「情報・文化の伝播」というものは様々な分野で取りざたされているものです。[12]

という事で今更なのですが、この記事で伝えていることは「完全なミーム」ではなく、私がミーム論に触れ自己解釈したいち複製でしかありません。[13]話半分に読んでいただければ幸いです。

6.「ミーム」と「インターネット・ミーム」

インターネットミームはその名の通りインターネット上の情報を媒介物としたミームによる動きであり、この「媒介物が情報[14]」ということが通常のミームと比較しても特異的な特徴—模倣の簡易さとそれに伴う媒介物の流動性上昇—をもたらします。

電子データの一番の利点は、そのデータの受け渡しが容易であること、その行為が必ずしも一対一の形をとらないこと[15]です。そしてここにおける「データの受け渡し」とは、まさしくミーム論における「模倣」であり、即ちインターネットには、"不特定多数に自己の模倣と媒介物を拡散させることが可能である土台"が既に出来上がっているのです。

ミームの媒介物から受け取ったと"感じる"情報は受信者の内部処理が行われたものであるため、オリジナルの媒介物と完全に一致するということはなく、これより模倣を行った場合も出来上がった媒介物はオリジナルのそれと同一にはなりえない[16]、ということは先に述べました。当然、模倣の回数が増えれば増えるほど最新の媒介物はオリジナルから遠ざかったものとなります。この事実と先程のインターネット上の"土台"が組み合わさることで、インターネットミームでは通常のミームと比較しよりダイナミックな変化が発生するのです。[17]

7.おわりに

さきに述べたように"正確な/完璧な"ミーム論などというものは(今はまだ)存在していません。

ミームというものは確かに便利な言葉なのですが、現状は便利すぎるが故に雑に濫用されています。ミームを語られた場合、使用者が共通理解をきちんと示していない限り話半分に解釈をしておいた方がよく、自分で使う場合個人の範疇に留めておく事をおすすめします。

その上でこの記事が皆様の様々な理解の手助けとなることを祈りつつ筆を置こうかと思います。


明日の担当はkriwさんです。

よろしくおねがいします
メモ

参考・引用文献

リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」ISBN978-4-314-01003-0
リチャード・ブロディ「ミーム―心を操るウイルス」 ISBN4-06-208737-5
スーザン・ブラックモア「ミーム・マシーンとしての私」上/下 ISBN4-7942-0985-1/ISBN4-7942-0986-X


  1. プロトキンの定義からミームを遺伝子と同一視してしまうと、自己と関係ない(直接人間と関わらない)知識形態に対し、何故模倣が行われるのかという説明がしづらいのです ↩︎

  2. こうした状況はこの説明で用いた通り「ミーム淘汰」と表現されるべきものですが、通俗的には「ミーム汚染」と称されています。「"ミーム淘汰"という既存のミーム」が「"ミーム汚染"という新しいミーム」に淘汰され、結果媒介物が「ミーム淘汰」という言葉から「ミーム汚染」という言葉に変化する、というまさにミームによる変化について格好の例となっています ↩︎

  3. 諸説アリ ↩︎

  4. ミームとブームの対比、という観点のみから考えればミームはミクロ視点、ブームはマクロ視点からみた模倣であると捉えることも可能でしょう ↩︎

  5. 理論上模倣を行う人間の数を導出することが可能である、という意です ↩︎

  6. 当然(主観的判断以外で)ブームの判定を行おうとすれば「客観的人数というデータに対してどのような条件を満たせばブームであるのか」という定義が必要になります。
    が、ここで言いたいのは「そのような定義が済めば理論上主観を介在させることなくブームの判定が可能である」ということです ↩︎

  7. 恐らくこのような考えはミームの主体を「流行の実体」というドーキンス的定義で捉えていることから生じているのではないかと思います。
    流行に対し、ある流行源はその実体だと考えるのが自然であり、原因を"自己の内部要素である"と捉える方が特異であるので仕方がない面もあると思うのですが ↩︎

  8. 即ち
    ・ミームからブームが生まれる
    ・ブームからミームが生まれる
    ・ブームとミームが同時発生する
    のいずれもがありえるということです ↩︎

  9. 現にリチャード・ドーキンスも「ミームというものはよいミームだった」と発言していますね ↩︎

  10. ここでは媒介物としての「ミームという概念」を指します ↩︎

  11. こちらは原義の「媒介物から人間に模倣を行わせる主体であるミーム」です ↩︎

  12. これは即ち、「ミームという概念が存在し、それはあらゆる分野で適用可能なものである」という知識を得た時点で"ミームというミーム"に感染したとも言えるでしょう ↩︎

  13. 「それならばあらゆる論は『ミーム的である』という理由で成立しないのではないか」という疑問が出てきそうなのですが、その答えは「論が成立する重要なファクターは"共通理解の存在"である」というものです。
    現在のミーム論は様々な分野で無為に扱われ"ミーム論としての"共通理解が確立なされていない。故にまだミーム論は論として不十分である、ということ。将来どうなるかは分かりませんが ↩︎

  14. 言語・絵・動画・音楽等。当然今までのミームもこのような形態になりえたのですが、インターネット上では"このような形態にしかなりえません" ↩︎

  15. 回りくどい表現ですが、要はネット上での公開のことです ↩︎

  16. コピーされたデータならば模倣を行っても全く同一である、という意見も出ると思うのですが、ここにおいては「媒介物実体の生じた状況」まで含めて"媒介物"である、ということを理解しなければなりません ↩︎

  17. それが端的に現れるのが「インターネットミームでは媒介物における本質的原則の変化も起こりうる」というものです。(主に風評被害という形なのですが)
    当然通常のミームにおいても(主に形骸化という形で)起こりうるものなのですが。これは割合の話であり、比喩的に原因を挙げるとするならば"時間縮尺が異なっている"とでも言えるでしょう ↩︎

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