この記事はアドベントカレンダー2021 23日目の記事です。
こんにちは。19のkegraです。戦争抑止のため推敲を重ねていたら大遅刻しました。
今回は自分の好きな作品のジャンルについて書きます。
注意
本記事は内容の性質上、それなりの性的な話題を含みます。
出来るだけ学究的な記述に努めますが、場合によってはやや生々しい記述もあるかも知れないので苦手な方はどうかご了承ください。
はじめに
「TSF」「女体化」「男の娘」といったジャンルを聞いたことのある人はどの程度の割合でいるんでしょうか。「男の娘」作品についてはしばらく前にブームがあったりしたらしいので多少認知度もあるかもしれませんが、TSFなどは未だに一般からはあまりジャンルとして認知されていないのではないかなと思います。
今回の記事では混同されがち (かつ混同すると大戦争が始まりがち) なこれらのジャンルについて紹介していきます。個人的には割と全部いけるので、それぞれのジャンルの醍醐味とかおすすめの作品も紹介出来たらなあと思います。
それぞれのジャンルの大雑把な紹介
TSF(TransSexual Fiction)
「TSF」は何かしらの魔法だったり薬だったりとかで性別が変わるシチュエーションのこと。主に「男性が女性になる」シチュを指すことが多い。(言葉の定義的には女性が男性になるパターンも指すはずだが、あまりない。)
男性が女性になることを「TSする」と表現したり、TSして女性になった男性を「TSっ娘」と呼ぶこともある。
女体化
(主に二次創作における)原作では男性のキャラクターがもし女性だったら…というif創作を主に指す。
男の娘・女装男子
主に「女の子にしか見えないような可愛い男の子」を指す言葉。
男の娘と女装男子の違いについては後述。
これさえ読めばもう混乱しませんね!
え?男の娘がTSした?それはそれ。
以下ではそれぞれのジャンルの詳細や面白みについて書いていこうと思います。
TSF作品の醍醐味
異性の身体に対する興味、混乱
TS作品の面白みを支える屋台骨の一つはやはりこれですね。かなり多くのTSF作品では、主人公は序盤、身体の違いに四苦八苦します。
作品によってさらっとギャグっぽく流すこともあれば、ねちっこく描かれることもあり、作者のフェティシズムがにじみ出るところでもあります。
いつの時代も異性の体に対する興味というものは尽きないものです。古くはギリシア神話でも、ゼウスと妻ヘーラーが「男の体と女の体はどっちが気持ちいいか」というくだらないことで喧嘩をする一幕があります。
ちなみにその喧嘩は男の身体にも女の身体にもなったことのある賢者テイレシアースが「女の方が9倍気持ちいい」[1]ということで決着を付けました。神々のくせに何やってんだこいつら…
心理変化
一番の醍醐味は、性別の変化が本人の心理や周囲の人間関係に及ぼす変化の過程です。
TSF系作品ではTSした男が「男のアイデンティティを失いたくない」と強く思っていることが多く(そうでないのもそれなりにありますが)、一方で身体に引きずられる心もあるという葛藤が見どころです。
またシチュエーション次第では元の性別を隠さなければならず、そうしたシーンでの内面的な矛盾も楽しめます。
おすすめ作品
身体変化を単純にドタバタの種として話を進めていくタイプと、繊細に心理描写を追っていく作品、間くらいの作品に大別される気がします。
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オレが私になるまで
小学生で女子になった主人公の成長が年単位で描かれています。
かなり強火で「繊細に心理描写を追っていく」タイプの作品で、主人公だけでなく周囲も含め徹底した描写はしっかり追っていくとなんかもう胸やけを起こしかねません。 -
魔法少年マジョーリアン
女性の体に変身したり戻ったりするタイプの作品です。初読時は変身シーンだけでお腹一杯なのですが、読み進めていくとあの手この手の心理変化で頭がぐっちゃぐっちゃになっていきます。主人公達の成長も見どころ。
ちなみにマンガ図書館Zで全3巻が無料公開されています。[2] -
一年生になっちゃったら
高2男子から小1女子になってしまった主人公のドタバタコメディです。
長期的に元に戻らないタイプの作品ですが、「いつか男に戻れる」という希望があるためか割と長く真っ当な男の意識を保っていて、周囲とのギャップが楽しめます。 -
お兄ちゃんはおしまいっ!
最初の方では割と男の意識があるのですが、シームレスに見た目通りの立ち振る舞いになっていき周囲の女子にも飲み込まれお兄ちゃんは文字通りおしまいになっていきます。
TSF作品は大なり小なりのラブコメ的要素がつぎ込まれることが多いですが、ひたすらに女子だけのほのぼの空間を形成する作品はちょっと異質というか、あまり他の例を見たことが無いです。類例があったら教えて欲しい。
女体化創作について
上にも書いた通り、二次創作における「もしもこのキャラが女性だったら…」というif創作のジャンルです。主にBL創作文化と地続きで発展してきたジャンルです。
字面としては意味にほぼ差がないせいで、TSFとかなり混同されがちなジャンルな気がします。というかあまり厳密に言葉が使い分けられてない気も。TSF系統の作品でも「女体化」の語を使っていることがよくあります。逆はそこまで多く見ませんが。
TSFとの違い
TSFは性別の変化が心理や人間関係に及ぼす影響など「過程」を重視するのに対して、女体化は原作のキャラを念頭に置いた上で「元からこうだったら」というもしもの世界を構築することに違いがあります。
これは個人的な見方なので実態と合っているのか分からないのですが、TSF作品が「身体の変化が心理に与える影響」に主眼を当てて描かれているのに対して、女体化(あるいは男体化)系統の作品は逆に「原作キャラがもともと持っている女性性(男性性)を身体に顕現させて描いている」んじゃないかなと思っています。
つまり
🤔「このキャラは男だけど潜在的に"メス"なんだよね。私には分かる」
😊「よし、女体化させて描いてみよう…」
といったような。
作品の発表されている場所
自分はTwitterとかPixivとかで気に入っている作者さんをフォローしたり好きな作品のタグで検索して見つけています。というか、最初は意図して見つけていた訳ではなく好きな作品のタグで検索してたまたま目に入って「何コレェ!」ってなったんですが、最終的に「イケるじゃん」ってなりました。
主に二次創作になるので「この作品!」みたいなおすすめはちょっと避けますが、概して平均的に質の高い作品が多いように思います。そのぶん解釈違いだと脳が破壊されることはありますがそこはご愛敬。自己責任で読みましょう。ちなみに住み分けのため「○○女体化注意」みたいな感じで最初の方に注意を書いてくれている人も多いです。
男の娘・女装男子ものについて
大雑把な定義としては上にも書いた通り「女の子にしか見えないような可愛い男の子」なのですが、細かい部分の状況について確認していきます。
男の娘の性自認について
「男の娘」や「女装男子」キャラクターの性自認については人によってやや解釈がややバラけてる印象ですが、基本的に二次元作品においては男の娘⇒性自認:男であることが多いです。
性同一性障害とかを真面目に取り扱っている作品もあるにはありますが、そういうのはあまり男の娘という言葉を使ってない気がします。近年ではトランスジェンダーという言葉もありますしね。
女性を目指すことによって可愛いのではなく、純粋に可愛いことを目指して可愛いのであったり、あるいは天性によって可愛い男の子が「男の娘」と呼称されているように思います。
男の娘と女装男子の違い
これもまた言葉の解釈と定義の問題になってくるので難しいのですが、個人的な考えとして、まず男の娘キャラクターには大きく「自ら望んで可愛らしい」男の娘と「望まないのに可愛らしい」男の娘という2タイプがいるように思います。
このうち「望まないのに可愛らしい」男の娘は多くの場合、天性によって可愛らしいのであって、女装をしなくても可愛いわけです。男らしく格好良くありたいのにどうあがいても可愛いというどうしようもなさ、これぞ男の娘のなかの男の娘、いや話は逸れましたがこの手のキャラクターを「女装男子」と呼ぶのは少し違うように思います。
一方「自ら望んで可愛らしい」男の娘は自ら可愛いファッションを着て可愛いのであり、「女装男子」という呼称を適用するならばこちらの方が適切なように思います。
「無理やり女装させられて~」みたいなシチュエーションの話になると話がややこしくなってくるのでこの話はこの辺で切り上げます。
どちらに感情移入するか
TSF作品ではTSした当人が主人公であってその主人公に感情移入する設計の作品が割と多いですが、男の娘系作品においては男の娘をヒロインとして主人公が別におり、そちらに感情移入するタイプの作品の方が多いように思います。男の娘が主人公の作品ももちろんありますが。
男の娘ヒロインの作品の醍醐味はやはり「男なのに可愛いと思ってしまう」という倒錯ですね。「カワイイに性別の壁なんてない」みたいな言いぐさをする人もいますがこれは僕に言わせてもらえば逆で、性別の壁があるからこそそれを越えることに価値が見出されるのでしょう。
澁澤龍彦も「良風美俗に反しているからこそワイセツはワイセツたりうる趣を持つのだ」[3]みたいなこと言ってますし、「男は女とつがうもの」という規範があるからこそ男の娘萌えは背徳感を持った観念として人を興奮させるのかもしれません。
おすすめ作品
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女装しないのは俺だけなのか!?
ヒロインである上田の破壊力が凄まじいの一言に尽きます。こんなのが近くにいたら頭がフットーして破壊されること受けあい。地味に周囲に女装包囲網を広げているのもたちが悪いですね。
果たして戸沢は上田とくっつくのか?それとも女装するのか?両方なのか?目が離せない作品です。 -
ボクらは魔法少年
主人公が女装するタイプの作品です。とりあえず主人公が水面をのぞき込む所までは読んでください。絶対に損はしません。
心理描写も巧みで、作者のリビドオが真っすぐにものすごい勢いで伝わってくるのでやばい。
あと重要なところとして、ラブコメ的な成分は切って「可愛い」が明確に独立しています。これは重要なことです。男の娘の恋愛対象が男だって話になると「結局男の娘って男が女の真似するだけじゃん」という話になってしまいかねないんですが、ここでは「男だって『可愛い』を謳歌していい」という話になっていくんです。なんかこの話題書くと無限に字数が食われそうなのでほどほどにしておきます。
バーコードファイターは非常に評価が高いらしいですが残念ながら僕は未履修です。お許しください。
補足:「メス堕ち」概念について
「メス堕ち」はTSF作品においても男の娘/女装男子作品においてもちょいちょい理解に役立つ概念なのでどこに置こうか迷ったのですが、最後の方に補足としてまとめることにしました。
pixiv百科事典では次のように解説されています。[4]
多くの場合は犯される側として、「オス」から「メス」へ堕ちることである。
メス男子や女装、男の娘のような性倒錯シチュ、またはBLなどの男性同性愛ジャンルで特に用いられることが多い。対象の男性は、性的・社会的に男性性を失うパターンがある。必ずしも身体的な変化(身体改造、性転換)を伴うわけではない。
またTSFや性転換といったシチュエーションにおいては、元男性が女性としての快楽に溺れるパターンについても同様の使い方をされることがある。この場合、肉体的には女性だが、精神的には堕ちるまで男性だと捉えたものである。
要するに女性的な快楽に溺れる状態を主に指す訳ですが、個人的な考えとしてはメス堕ちの本質は快楽そのものではないと考えています。
ちょっと古い性規範を持ち出すと、「男性はリードする側,何かを決める側」「女性はリードされる側,何か行為をされる側」みたいな観念ありますよね。
この古典的な役割における女性は自分の自由がないから辛いかというと、ある点においてはラクなんです。それは、リードされる側であり物事の決定者でない以上「責任を持たない」という点。一方男性はリードする側である以上何かを決定する側であり、そこには責任が伴う。これは重圧であり、解放されるなら解放されたいという欲求もなきにしもあらずわけです。つまり男性にはリードする側からリードされる側に転落したいという欲望がどこかにある。
これらをまとめると、自由を失うことと引き換えに責任を持たない役割に堕ちること、これが僕の考える「メス堕ち」の本質です。
リードされる側の扱いを受けることによって、男性的な「責任を持つ役割」と安楽な「責任を持たない役割」との間で揺れる葛藤、これがTSFジャンル/男の娘ジャンルの大きな醍醐味の一つだと思っています。
(ところで、古い規範に当てた分かりやすさのためか「メス」という性別を意味する言葉で代表されていますが、ぶっちゃけこれもはや性別関係ないと思います。でもそういう古い規範があるからこそTSFでこういうシチュが生まれるのかとも思ったり。業が深い)
TS娘のメス堕ちと男の娘のメス堕ち
TSF作品でも男の娘/女装男子作品でも「メス堕ち」シチュ自体はあります。男だろうが女の子として扱えば女のコになるんだよ。そういうもんだぜ、エヘヘヘヘ。[5]
自分の所感としては、TSFにおけるメス堕ちには「今は女の子だから…」というある種の言い訳が出来るのに対し、男の娘のメス堕ちには「男のまま堕とされる」という言い訳の利かなさによる、強いギャップと屈辱感によるエネルギーがあるように思います。これは非常に良いものですね。かといってTSFにおけるメス堕ちが強度で劣るという訳ではなく、むしろどこまでもずるずると完全なメスに向かっていくのもこれはこれで乙なものです。気が付くと「自分は元男だと思い込んでいるただの少女なのでは?」というところまで達しているわけですね。おおこわいこわい。
余談ですがこの「男性性による責任からの解放」という軸で見ると、割と広範な範囲の性癖が(全部ではないにしろ)一定程度説明できてしまうのではないかと思っています。具体的にはおねショタ[6]とかバブみ[7]とか巨大娘とか…
ただこの辺は本題と逸れますしそこまで詳しいわけではないのでこれ以上の言及は避けておきます。
補足2: ふたなりについて
この記事で紹介したジャンルと共に外部から混同されやすいものとして「ふたなり」がありますが、この記事での詳細な言及は避けました。
主な理由は自分がそれほど詳しくないというのもありますが、一番の理由は性癖の構造があまりにも入り組んでいるためです。
一応説明しておくと、ふたなりとは男女両方の特徴を持つ身体のキャラのことであり、多くの場合は「女性の体に男性器も生えている」キャラクターを指します。
ふたなりキャラが誰かと絡もうと思ったら男と絡むのか、女と絡むのか、男の娘と絡むのか、触手に絡まれるのかといった様々なパターンがあり、その上でふたなりが攻めるのか、ふたなりが攻められるのか、それとも両方ともふたなりなのかといった場合があって、それら全てについて少しづつ性癖の原点が異なるわけなのでもう手に負えない訳です。
個別の作品研究に絞るならば「女の人に男性器で負けるという屈辱感と屈折性」であったりだとか、あるいは単純に「男女両方の快楽があるとすごくえっち」みたいな話であったりとか色々言えることもあるのですが、「ふたなり」という括りにしてしまうともう整理しきれません。ということで僕は逃げます。語りたい人は語ってみてください。
まとめ
「結局のところ全部ホモでは…?」
…
「なんだァ? てめェ……」
明日はtatyamさんの記事です。お楽しみに!
9倍という数字はアポロドーロスの「ギリシア神話」(岩波文庫,p136)から。でも読み物としてはオウィディウスの変身物語の方が面白いと思う ↩︎
中公文庫「少女コレクション序説」収録の「セーラー服と四畳半」より。文は要約。澁澤龍彦は最高にド変態なことを最高にカッコいい名文で書き連ねる最高の男なので、みんな、読もう! ↩︎
「幽麗塔」という漫画に出てくるセリフだが、コマの切り抜きが完全にネットミームと化している。 ↩︎
≠「ショタおね」。逆ではいけない理由は記事を読めば分かると思う ↩︎
近年「母性本能をくすぐる」という意味合いで使われる場合も出てきたらしいが、ここでは「赤ん坊のように甘えたくなる」の方の意味である ↩︎